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大阪高等裁判所 昭和52年(う)1558号 判決 1978年9月13日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役四月に処する。

理由

本件控訴の趣意は、大阪高等検察庁検察官検事栗本六郎提出にかかる大津地方検察庁検察官検事嶋田貫一作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人徳永正次作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

検察官の論旨は、要するに、原判決は本件公訴事実中覚せい剤取締法違反の点につき、警察官が鑑定のため被告人から提出を受けて、領置した尿の押収手続に関し、被告人からの採尿は被告人の真意に基づく明示的同意が得られたものとはいい得ないし、また採尿までの過程が長時間にわたりいささか無理じいが認められるとし、右押収手続を実質的に強制に基づく押収と何ら異るところがない違法なものと認め、しかもその違法は令状主義を定めた憲法三五条及び刑事訴訟法上の諸規定の趣旨を失わしめるほど重大なものであるからこのような手続によって収集された右尿を資料とする鑑定書及び鑑定経過中の体験に基づく証人本吉護の「尿中に覚せい剤の成分が認められる。」旨の供述部分も違法でありかかる証拠を罪証に供することは憲法三一条の趣旨に照らし許されないとの理由でその証拠能力ないし証拠としての許容性を否定したうえ、他に自白の補強証拠がないとして被告人に無罪の言渡しをしたが、右は本件尿の押収手続が任意捜査として許される範囲の適法なものであるにかかわらず、右尿の採取過程における事実を誤認したため、これを実質的に強制に基づく違法な押収であるとして、本件尿を資料とする右鑑定書等の証拠能力ないし証拠としての許容性を否定したものであって、右各証拠を本件公訴事実認定の証拠として用いなかった原判決には訴訟手続の法令違反があり、これらはいずれも判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

記録によると、本件覚せい剤取締法違反の公訴事実は「被告人は法定の除外事由がないのに、昭和五一年一一月一六日ころの午後五時ころ、京都市山科区御陵荒巻町九の三佐々木荘二階居室において、顔見知りの通称「ジュン」(二三才位の男)を介し、フェニルメチルアミノプロパン塩酸塩を含有する覚せい剤粉末約〇・一グラムを水で溶かし注射器を用いて自己の右腕に注射し、もって覚せい剤を使用したものである。」というのであるところ、原判決は本件被告人の尿の押収に至る事実関係を検討した結果、所論中に記載したとおりの認定判断の下に、被告人に無罪の言渡をしたことは明らかである。

そこで所論と答弁にかんがみ記録を精査し当審での事実調の結果をも加えて検討するに、本件尿は、被告人が警察官の求めに応じ自らの排尿をポリ容器に入れたうえ任意提出書を作成して提出したのを領置されたものであって、その限りでは右尿の提出、領置は被告人の同意に基づくものとみられ、排尿は人の自然的な生理現象であるから、捜査官が覚せい剤使用の疑いをいだいた者に対し、捜査の必要上覚せい剤検査のため排尿の提供を求め、その排尿をまって提出を受けこれを領置することは、これがその者の同意に基づきなされる限り、任意捜査による押収手続として許されるところである。ところが、本件においては、被告人からの採尿すなわち排尿の提出、領置に至る過程に長時間を要したことに問題があるので、更に被告人からの採尿の経緯に照らし、右被告人の排尿の任意提出が真実被告人の同意のもとになされたものか否かにつき検討を加えるに、《証拠省略》を綜合すると、

滋賀県堅田警察署刑事課防犯少年係では、かねて被告人が覚せい剤を使用しているとの風評により、その嫌疑があると思料し、被告人に対する捜査の機会を窺っていたところ、たまたま昭和五一年一一月一八日午前九時ころ、被告人が自動車運転免許証の書替の件で同署交通課に出頭していることを同課係員の連絡で知ったので、右防犯少年係長中山純治の依頼で以前少年時代の被告人を補導したことなどで被告人と顔見知りの同署刑事課所属の宇田真治巡査部長が被告人を呼出しに行き、防犯で用があるそうだからちょっと二階に上ってくれといって被告人を同署二階の防犯少年係の執務室に同行したが、その際被告人に、防犯で覚せい剤の話が出ているので尿を出してくれと言っている旨を伝えたうえ、同係の石原幸三巡査に引継いだこと、石原巡査は、引継ぎを受けるや直ちに被告人に対し尿を出してくれと排尿の提供を要請したところ、被告人はこれを拒否することなく、ただ「今は出ないから一寸待ってくれ」と答え、右要請に応じ同室の応接のソファーに坐って排尿の時機がくるのを待って右室内にとどまることになり、結局四時間近く経過した同日午後一時過ぎころようやく自らの排尿を容器に入れて石原巡査に提出したこと、被告人は、その間石原巡査らに対し二、三回「まだ帰れませんか」と問いかけ、早く帰り度い意向を伝えたが、その都度同巡査らから「尿がでたら帰って貰うから出るまで待ってくれ」といわれて、それ以上強く帰りたいとは要求せず、また現実に同巡査らの要請を無視して帰ろうとの行動にも出ることなく、同室内で時には石原巡査や宇田巡査部長らと雑談をかわしたりして時を過ごし、途中二回位排尿しそうだと便所に立ったこともあったが排尿に至らず、また石原巡査から早く出したほうがいいからといって提供された湯茶やジュースをのみ、昼には弁当を取ってもらって別席で食事をしたこと、の各事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

右事実によると、被告人はたまたま他の所用で堅田警察署に出頭した機会に捜査の警察官から突如排尿の提供を要請されて、戸惑いはあっても結局これに応じて自らの排尿を提出したものとみるべきであって、記録並びに当審における事実取調の結果に徴しても被告人が排尿に至るまでの間長時間同警察署に留ることになったことにつき、捜査官側から被告人に対し何らかの強制が加えられた形跡は、窺われず、被告人が自己の排尿の提出自体を拒否したことは認められないのである。

原判決は、被告人の排尿の提出について真の同意があるというためには、被告人自身採尿の目的を知っていることが前提になるところ、宇田巡査部長は被告人を石原巡査に引継ぐに際し、被告人から尿の提出を求めるにつきその目的を曖昧にしたまま明らかにせず、石原巡査も採尿の目的につきなんの説明もしなかったものと認め、本件排尿については被告人の真意に基づく同意があったとはいえないとしているが、この点は前記認定のように、宇田巡査部長は覚せい剤検査のために採尿するものであることを被告人に説明しているとみられるのであって、さらに被告人自身も原審第五回公判で、覚せい剤のことは宇田巡査部長やその他の警察官からもいわれなかったが、私もいろいろ聞いているのでうすうす知っていた旨、原審第六回公判で弁護人の「(尿を)渡したら覚せい剤をうったことがわかるとは考えなかったのか、覚せい剤の検査だとは思わんかったのか」との質問に対し、「はっきりわかりませんでした、だいたいそういうことやろうと思ってはいましたが、」と供述し、当審第二回公判で最初は尿を提出する目的はいわなかったが、昼前には石原巡査か溝畑巡査から、覚せい剤の件で調べるか何かで小便を出してくれと聞いたとか、昼前の段階では警察官が尿を出してくれという目的は「判っていたかも知れません」とも供述していることに徴すれば、被告人が採尿の目的を知っていたことには疑いがないし、また原判決がいうように被告人がその目的を告知されなかったというのもあたらない。

たしかに原判決説示のように、本件採尿に至るまでの過程が四時間近くの長時間にわたったことは問題であり、被告人がすすんで排尿する気になれば、そのような時間を要しなかったのでないかと考えられるし、また被告人が前記のように排尿に至らないまま待機の途中で何回か、まだ帰れませんか、と警察官に問いかけて、帰りたい意向を示したことや、宇田巡査部長に、尿をとられるとどうなるか、と不安を訴えた経緯もあり、被告人の尿が鑑定の結果覚せい剤の成分の含有が認められたことに徴しても、被告人は排尿の提出により、覚せい剤使用の事実が発覚することをおそれる気持もあったとみられる(被告人自身はこのことを否定して、本件公訴事実を否認しているが)から、本件採尿にはもとより快よく応じたものではないけれども、だからといって真の同意がなかったものとして、被告人の尿の任意提出を否定することはできないのであり、採尿に至るまで長時間に及んだのは、被告人において尿が出ないといって排尿の時期のくるのを待ち、警察官側も被告人のいうままにそれを待ったことによるもので、警察官らは、当初はそれほど長時間被告人に対し待機を求める意向はなかったことが明らかであり、警察官が湯茶やジュースを提供したのも、早く排尿できるようにとの配慮から出たものと認めるのが相当であって、本件採尿の過程で警察官側に被告人の意に反した強制があったとみることはできない。

してみると、本件尿の採取、提出、領置は任意捜査の範囲内のものと認められ、令状なくしてなされた本件尿の押収、領置は何ら違法のものということができないのであって、原判決は本件尿の押収過程における事実認定を誤り、本件尿の押収手続を違法なものとした結果、証拠能力及び証拠としての許容性の認められる前叙鑑定書等の証拠を本件公訴事実認定の資料として用いなかった訴訟手続の法令違反があり、右違法が判決に影響を及ぼすことが明らかであるというべきであり、なお右公訴事実は原判決が有罪と認定した暴行の公訴事実と併合罪の関係にあるものとして公訴を提起されたものであるから、原判決は全部破棄を免れない。論旨は理由がある。

よって刑事訴訟法三九七条一項三七九条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書に従い更に次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

第一、被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和五一年一一月一六日ころの午後五時ころ、京都市山科区御陵荒巻町九の三佐々木荘二階居室において、顔見知りの通称「ジュン」(二三才位の男)を介し、フェニルメチルアミノプロパン塩酸塩を含有する覚せい剤粉末約〇・一グラムを水で溶かし注射器を用いて自己の右腕に注射し、もって覚せい剤を使用したものである。

第二、原判決認定の罪となるべき事実のとおり。

(証拠の標目)《省略》

(確定裁判)

被告人は、昭和五三年四月一〇日京都地方裁判所で覚せい剤取締法違反の罪により懲役四月に処せられ、右裁判は同月二五日確定したものであって、この事実は、当審で取調べた右裁判の判決書謄本によりこれを認める。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は、覚せい剤取締法四一条の二、一項三号、一九条に、判示第二の所為は刑法二〇八条、罰金等臨時措置法三条一項一号に各該当するので、判示第二の罪につき所定刑中懲役刑を選択し、以上の各罪と前記確定裁判のあった罪とは刑法四五条後段により併合罪の関係にあるから、同法五〇条によりまだ裁判を経ていない判示各罪につき更に処断することとし、なお右の各罪はまた同法四五条前段の併合罪の関係にあるから、同法四七条本文一〇条により重い判示第一の罪の刑に同法四七条但書の制限内で法定の加重をした刑期範囲内で被告人を懲役四月に処し、原審ならびに当審の訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととする。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 八木直道 裁判官 石松竹雄 村田晃)

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